p r e l u d e

ふたご座の乖離

きみのことが、昔からずっと、一番大切だったし、愛していた。

きみが名前を呼んでくれる。触れてくれる。言葉を交わして、微笑み合って、それがしあわせだった。血のつながりなんてどうでもよくて、許されるなら、そのすべてを奪ってしまいたかった。だけど俺たちは双子だったから、このいやしい思いがきみにも伝わっているのかもしれないと、そう思うとこわくて、なにもできなかった。

「たかちゃん」

優しい声が、俺の名前を呼ぶ。夜空から視線を落とせば、隣でにこにこと微笑んでいる少女の姿。彼女は俺の双子の姉で、今はベランダからふたりで星を見ているところだった。なんでも今日は新月だから、いつもより星が綺麗に見えるらしい。それで、一人は寂しいから一緒に見ようと姉の部屋のベランダに引っ張り出されたのが、ついさっき。

(でもきっと、そんなの口実だ)

姉は昔から、こうしてふたりきりになって内緒話をするのが好きだった。そしてここで話したふたりの秘密は、口外しない暗黙のルールがある。永遠にふたりだけの秘密。それが、昔は楽しかったし嬉しかった。誰に言えなくても、姉には言えることがあって、姉もきっと、同じだった。そうして互いに明かしてしまえば、ふたりにはなんの秘密もないくらい、俺たちは互いのことを知っていたと思う。

でもそれは、昔の話だ。今は互いに言えないことなんて、きっと沢山ある。俺たちは男と女だから。双子と言えど、結局は別々の個体なのだ。男と女の双子は二卵性でしか産まれない。俺と姉とは、違う人間なのだ。どれほど俺が、彼女の存在に依存していても、ふたりはひとつにはならない。過去を遡っても、未来へ進んでも、そんなことは起こりえない。

「星が綺麗ね」、と呟くように、姉が言った。「いつも見てるのと、変わらないように見えるけど」と、俺が返す。再び見上げた夜空は、その闇の中に点々と光を灯して、しかし月だけは確かに存在しなかった。新月を意識したことがなかった俺にとっては、少し新鮮な夜空である。それでもどうにか月を見てやろうと、ぼんやりとでも視界に映りこむことを期待したが、結果、月は見つけられなかった。かわりに、さっきから黙っている姉が、言いづらそうに俺の表情をうかがっていることに気づく。

「それで、今日の内緒話は?」

本当は聞きたくもない。だいたい予想はついているのだ、しばらく使っていなかったこのベランダに、わざわざ姉が俺を招いたわけくらい。双子だからとか、そんなのじゃない。よく見ていればわかることだ。きっと幼馴染の凪も、真希も。もしかしたら篤史だって気づいているかもしれない。気づいていないのは、気づかれていないと思っているのは、張本人たちだけだ。

「あのね、たかちゃん。怒らないで聞いて」

「うん」

おずおずと話し始める姉の姿に、俺は空へ顔を向けたままあいづちをうつ。

「私、ひーくんのことが好きみたい、なの」

息をひとつのんだ。予想通り、というか、そのままの展開で、むしろはずれていなくてよかったとすら思う。ただ、彼女を手放したくない身勝手な思いが、この胸をずきずきと痛ませた。苦しくて目を細めると、何を思ったのかあわてた様子で姉が付け加える。

「だ、だからって別に、付き合いたいとか、そういうわけじゃないんだけど!」

嘘が苦手な姉の精一杯の嘘は、その目を見ればわかってしまうほどの可愛いものだった。俺を傷つけまいと口走ったのだろうが、それは少し慰めかたが間違っているぞ、と思わず言いそうになる。本音を言えば、そんな彼女に甘えて束縛し続けたい気持ちはある。でも、いつかは訪れる別れなら、いっそ今。

(俺たちは、双子なのだから)

聖に張り合ったところでなんになるというのだ。彼女には彼女の道がある。「好きなら、告白して、付き合えばいいのに」、なんて初めて口にした言葉に違和感を覚えていると、姉と目が合った。驚いたような笑顔で、「たかちゃん、私が男のひとの話するといつもこわい顔して怒るのに」なんて言う。

「それは相手の問題。聖なら、別にいいよ。高校生にもなって、尊の恋愛に口出し続けるのも悪いしね」

(いつまでも尊に恋していても、悪いしね)

きっと彼女は全部気づいているのだ。その上で悩んで、悩んで、俺に打ち明けたのだろう。俺が反対したらどうするつもりだったのだろうか。さっきの様子から察して、ずっとその想いを胸に秘め続けたかもしれない可能性にため息が出た。双子で永遠の片想いを背負うなんて、報われないにもほどがある。それならせめて姉には、しあわせに生きてもらいたいと思った。

「じゃあ俺は部屋に戻るから」。そう言って姉に背を向けると、トン、とぬくもりが背中に触れた。抱きしめられていることに気づくと同時に、泣き声に似た謝罪が、そっと俺に届く。

「たかちゃん、ごめんね」

「謝ることなんてない」

「違うの、知ってたの、私。たかちゃんが私を」

「いいんだよ、これで俺も、ようやく諦められるかもしれない。……ありがとう、尊」

やっぱり、と思ったところで、何も変化はなかった。姉が秘密を明かした。そして俺も、長年培ってきた秘密を、ここで姉に明かした。ただそれだけだ。これで、おあいこ。

「ねえ尊、お願いがあるんだ」

それでも欲深い俺は、どうしても彼女を求めてしまう。

「いいよ」

何も言わずに瞳を閉じた彼女は、きっと俺が求めているものを知っている。向かい合ってそっとその頬へ手をのばすと、わずかに涙が触れた。

(尊の初めてがほしいだなんて、ただのガキじゃないか)

それでもせめて、彼女の唇が、今このときだけでも俺のものであったらそれだけでいいと。

「尊」

「なあに」

だけどやさしい彼女は、いつまでも、俺の姉だった。我が儘な弟の言うことを聞き入れてくれる、姉だった。

「愛してる」

「……うん」

そして落とした唇はまなじりの涙をすくって、瞼に触れただけ。終わった合図にくしゃり、と髪をなぜれば、姉はまた微笑んで、「ありがとう」と小さく、こぼした。泣きじゃくりながら。

(崩壊したふたりのせかい)